人によって損の定義というのは
随分違うんだなぁと思うわけ。
もちろん時間とお金の使い方なんて
個人の自由な理由なんだから
他人がとやかく言うことじゃないんだけど。
もし、それが趣味ではなく、何らかの
「目標」とか「目的」とかあるんなら
その方向に向いてるか?
きちんと客観的に
判断する必要はあるかなと。
先日40代くらいの方と話していてね
「俺なんて自己投資として200万円使ったんだぜ!」
なんてことを自慢してた。
(おそらく自慢だったんだと思う、、、
すごく誇らしい喋ってたから)
おそらく彼は
「(俺ってすごく勉強熱心で
すごい努力家で、波動の高いだろ?)」
なんてことをアピールしたいのかもしれない。
事実彼は非常に努力家で
頑張っているんだと思う。
少なくとも本人はそう思っている
「(俺はこいつらより努力してるんだから
一番先に成功するはずだ)」
そんなオーラがバシバシ伝わってくる。
別に悪いわけじゃない。
当の本人は現に自分の基準で
頑張っているんだから。
あっちのフェイスブック
こっちのフェイスブック。
至る所で彼の顔を見るし
楽しそうに集合写真を撮ってる。
彼は努力をしている。
損をしているなんて思ってもいない。
でも僕らからすると
彼ははっきり言って
お金をドブに捨ててるようにしか
見えない理由。
時間とお金をものすごい損しているように
見えて仕方がない
「遊んでないで仕事したら?」
とも思ってしまう
金額だって200万円だ。
セミナー中毒になると
感覚が鈍ってくるけど
これって相当な金額ですよ。
でも彼はリターンがあれば
それでいいと思っている。
この200万がやがて1億になるんだと
もちろん、そうなればの話だけれど、、、、
一方、僕らの仲間だったら、
手元に自由に動かせるお金が
200万円あったら何するか?と言うと
(前にも書いたかもしれないけれど)
いたすら広告のテストをする。
ひたすらデータをとる。
つまり事実を買うわけだ。
当然テストなわけだから
赤字にもなるし
ぱっと見損をしてるようにも
見えるかもしれない。
当然セミナー大好きな彼からすると
僕らはただお金を燃やしているようにしか
見えないだろう。損をしているように
見えると思う。そりゃそうだ。
広告打ったって
すぐにリターンが発生するわけじゃない。
だけど僕らはこうやって
お金を使って
「こうやったらうまくいくんだ」
「こうやったら失敗するんだ」
という事実を買い集めてるわけ。
これは必要な投資なの。
セミナーに行くことが
努力だと思う人もいれば、損をしてると思う人もいる。
広告を打つことが
努力だと思う人もいれば、損をしてると思う人もいる。
一体どっちが正しいんだろうか?
繰り返しですが
お金や時間の使い方は個人の自由だから
他人がとやかく言うことじゃないけれど。
それが趣味ではなく、何らかの
「目標」とか「目的」とかあるんなら
その方向に向いてるか?
きちんと客観的に
判断する必要はあるかなと。
「ボク、頑張ってるよ」だけで認めてもらえるのは
ぶっちゃけ、中学生までだから。