ハードボイルドに生きる必要は全くないんだけど、とはいえ居心地のよい場所についているというのは、逆に自分自身の苦しめる結果にもなったりする。
僕が大学時代にお世話になった先生でね、すごくいいこと教えてくださった方がいるの。
僕はご存知、昼間は働いて、ヘロヘロになりながら夜大学に入っていたもんだから、正直大学の授業なんて、あんまり頭に入ってこなかった理由。
だけどこの先生の授業はなんだか面白くてね。
何が面白いかというと、授業それ自体が面白いというよりも、毎回配られるプリントの裏側に名言が書いてあってね。
これがなかなか秀逸なんです。
どっかの偉い人から引用してきたものもあれば(そんなに数はなかったかな?)、先生が独自で作った言葉もあって。
これを毎週楽しみにしていたようなところがあったのよ。
それで今でも覚えているんだけれども、彼の一番最初の授業。一番最初に配られたプリントの下に、こんなことが書いてありました。
「たとえあ、なたに適性や才能があったとしても、最初はすべて苦痛なものです。社会で使い物になるためには、そして得意だと言えるようになるには、ある程度待たねばなりません。」
いいことばだな〜。
なんだか才能や適性があると、はじめた瞬間に、ポッと上手にできるものっていうイメージあるけど、違うんだね。
確かに初めから要領をつかんで、うまくできる人がいるかもしれないけれども、「社会で使える」ってレベルで考えたら、それは時間がかかるわけ。
このことを知っておかなきゃいけない。
最近は期待値が高すぎて、それが故に、挫折してしまうケースが多い気がする。
勇気をもってインターネットビジネスの世界に入ったものの、WordPressのインストールの仕方がわからず、2時間で挫折。。。。
そして、いつもの名言
「これは神様が、やめたほうがいいとおっしゃってるに違いない。」
そりゃ、ないぜ。。。。
でも無理はない。よくある自己啓発本はそういうアプローチが多いから、期待値が高くなりすぎてるのであろう。
きっとどこかに、一瞬であっという間にできてしまう、自分の才能というものが埋もれていると勘違いしているのであろう。
何を隠そう僕だってこの先生に出会うまではそうだったから^^;
個人的な話をすると、この先生に出会い、目が覚めてからの僕の人生は、劇的に変わったね。
うまくいかないことが普通だと思えたから、ちょっとやそっとうまくいかなくても「まあこういうもんだろ」とうまく流せるようになったから。
そんなことをしているうちに、上手になるんだね。
H先生、ありがとう。あなたの授業があったから、僕はなんとか社会でやっていけているような気がします。